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宮嶋康彦写真展
「Siberia 1982」


宮嶋康彦写真
                  ©Yasuhiko Miyajima

会 期 / 2013年9月20日(金)〜11月16日(土)
時 間 / 11:00〜19:00
休 廊 / 日・月・祝
入場料 / 無料

内容紹介


1982年、当時三十一歳の宮嶋康彦がソビエト連邦最高指導者ブレジネフ死去直後の厳寒のシベリアを取材した作品です。

モノクローム(プラチナ・パラジウム・プリント)作品40点を展示。



ギャラリー・トーク開催!


宮嶋康彦によるスライド映写を交えたギャラリー・トークと、宮嶋みほい(舞台女優)による短編小説『シベリア紀』の朗読。
アコースティック・ギター伴奏 那須寛史

日 時 / 2013年10月4日(金) 19:00〜(当日は18:00閉廊)
参加費 / 2,000円

mailもしくはお電話にて要予約。
mailの際はお名前・ご住所・お電話番号を明記のうえ、送信して下さい。
*スタッフより予約確認のmailを送らせて頂きます。
ギャラリー・トーク終了致しました。たくさんのご参加ありがとうございました。

*お客様の個人情報を漏洩・流出させたり不正に利用したりしないよう、厳正な管理を実施しております。




Siberia 1982

宮嶋康彦

三十一歳。初めての海外取材がシベリアであった。
シベリア鉄道で酷寒の地を行く旅にあこがれた。
当時は「日本人の起源」という命題に惹かれていた時期でもあった。
南方ルート、朝鮮半島の経由、そしてシベリアからの北方移入ルート。
中でも、元来、北国への憧憬が強かったせいで、北方ルートへの関心が高かった。
日本列島にたどり着いた古代人に会いに行こう…。
そんな思いの背中を押したのはチェホフだった。
彼の作品に『シベリア紀』というのがある。その冒頭の一文が私をシベリアに連れていってくれた。
チェホフその人と思われる主人公が、がたくり馬車を操る男に訊ねる。
「シベリアはどうしてこんなに寒いのかね」
「神のおぼしめしでさ」
1982年11月29日、新潟空港からハバロフスクに入った。
すでに冬が到来していた社会主義国家ソビエト連邦は、ブレジネフという指導者を亡くしたばかりであった。
KGB(ソ連国家保安委員会)による尾行、毎夜ホテルの部屋にかかってくる誘惑の電話、撮影フィルムの没収、困難を極めた撮影旅行だった。
それでも私は積極的に人々に声をかけた。かれらは、私が示す和露、露和辞典を熱心にのぞきこんだ。日本人の源流をたどる私に社会主義を樹立したレーニンの孫たちは、どこか、懐かしい表情をたたえてカメラの前に立ってくれた。




作家プロフィール


宮嶋康彦(ミヤジマヤスヒコ)

1951年 長崎生まれ
高校入学と同時に写真を始め、1975年にフリーランス宣言。
文学の富と写真の富を融合させながら、独自の富を創出する活動を主とする。
写真作品の制作は高校以来のフィルムに拠る。
自作の手漉き和紙にプラチナプリント、および、ゼラチン・シルバープリントで制作。

1985年 ドキュメントファイル大賞受賞
東京造形大学非常勤講師
立教大学大学院兼任講師
Office Hippo 主宰

Official Web Site http://www5a.biglobe.ne.jp/~y-m/


主な展覧会


1982  「風奏」 ニコンサロン
1989  「気 風景の始原」 ニコンサロン
1991  「一本の木」 ペンタックスフォーラム
2002  「汎自然」 ニコンサロン
2003  「日光山花鳥縁起」 コニカミノルタプラザ
2008  「Hippo Dance」 コニカミノルタプラザ
2010  「A Dragon in the Mist」 立教大学
2011  「中原中也に訣別」 中原中也記念館
2012  「東京起源」 ニコンサロン
         「新約 日光山」 オリンパスギャラリー


主な著書


1987  「河馬の方舟」(朝日新聞社)
1987  「紀の漁師 黒潮に鰹を追う」(草思社)
1989  「おくのほそ道」(偕成社)
1990  「日の湖 月の森」
1992  「誰も行かない日本一の風景」(小学館)
2001  「花行脚」(日本経済新聞社)
2002  「母の気配」(情報センター出版局)
2003  「水母音」(オフィス・ヒッポ)
2004  「この桜、見に行かん」(文藝春秋)
2006  「写真家の旅」(日経BP社)
2007  「脱『風景写真』宣言」(岩波書店)