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〈特別企画展〉
ロバート・フランク写真展
「MEMORY ―ロバート・フランクと元村和彦―」


Robert Frank写真
   ©Robert Frank
   Courtesy Of Kazuhiko Motomura

会 期 / 2015年2月20日(金)〜4月18日(土)
時 間 / 11:00〜19:00
休 廊 / 日・月・祝
入場料 / 一般・学生 600円 *中学生以下は無料



内容紹介


ロバート・フランク生誕90周年を記念し、また昨夏惜しくも逝去された邑元舎代表元村和彦氏を追悼する〈特別企画展〉ロバート・フランク写真展「MEMORY-ロバート・フランクと元村和彦-」を開催いたします。
ロバート・フランクは1924年スイスに生まれ、90歳を迎えた今も作家として活動を続けています。また2000年代に入って大規模な回顧展が開催されるなど、今なお世界中のファンを魅了し続けています。
元村和彦は1933年佐賀県に生まれ、九州や東京で税務署員として勤務した後、1960年に東京綜合写真専門学校に入り写真を学びました。その後、同郷の写真家森永純氏を介して知り合ったユージン・スミスの写真展を日本で企画開催、また自ら出版社邑元舎(ゆうげんしゃ)を設立して、これまでに5冊の写真集を刊行しました。
ロバート・フランクと元村和彦の長きに渡る親交は、1970年にユージン・スミスの紹介で元村がニューヨーク州バウェリー184番地のフランク宅を訪ねたときに始まります。当時のフランクはアメリカで出版された写真集『THE AMERICANS』が酷評を受けたことが原因で写真から遠ざかり、映画制作に没頭していました。
日本からの突然の来訪者に戸惑いつつも、元村の強い思いが伝わり、フランクは日本での写真集の制作を許可します。1972年、邑元舎から杉浦康平のデザインにより出版された写真集『The Lines Of My Hand』(邦題『私の手の詩』)は、後に編集を加えられ、アメリカでも出版されることになります。
出会いから2年の歳月を経て、日本の小さな出版社で作られた写真集の出来映えに驚いたフランクは、元村に「君の愛には驚いた」と告げたといいます。
こうしてフランクと元村の間には深い絆が生まれ、後に出版される写真集『Flower is』(1987年邑元舎刊 邦題『花は...』)へと繋がっていきます。
元村和彦が手がけた写真集『The Lines Of My Hand』の出版は、フランクが再び写真の世界に向かう大きなきっかけとなりました。元村の存在がなければ、今日のロバート・フランクは存在しなかったと言っても過言ではありません。
本展は元村和彦所有の貴重なコレクションから、未公開作品23点を含む約50点のモノクローム(ゼラチン・シルバー・プリント)作品を展示いたします。


Robert Frank写真
   ©Robert Frank
   Courtesy Of Kazuhiko Motomura



ギャラリー・トーク開催!

【第一回】森永純(写真家)×河野和典(元日本カメラ編集長)

聞き手に河野和典氏をお迎えし、元村和彦との出会いや、助手をして以来親交の続いていたユージン・スミスとのエピソード等、当時の貴重なお話を中心にトークを行います。

日  時 / 2015年3月14日(土) 19:00〜 (当日は18:00閉廊、18:30より受付開始)
参加費 / 2,000円(展示チケット代含む)
終了いたしました。たくさんのご参加ありがとうございました。

森永 純(もりなが じゅん)
1937年 長崎市生まれ
1944年 佐賀県へ移住
1960年 日本大学芸術学部写真学科卒業 「河―累影」制作
1961年 岩波映画製作所写真部在籍
1962年 W.ユージン・スミス氏助手
1969年 個展「モーメント・モニュメント」(ニコンサロン)
1970年 日本写真批評家協会新人賞 受賞
1972年 個展「オリジナル・プリント’60〜’71」(画廊春秋)
1975年 個展「波―海」(ニコンサロン)
1977年 「現代日本写真家展」出品(オーストリア グラーツ市立美術館)
1978年 個展「〈都市〉の眺め」(ニコンサロン) 写真集『RIVER 河−累影』(邑元舎)
1980年 日本写真協会年度賞 受賞
1994年 個展「River sea-waves」(ニューヨーク ローレンス・ミラーギャラリー)
1999年 個展「sea on the waves」(ベルリン RAABギャラリー)
2009年 個展「瞬〜揺」(エプソンイメージングギャラリー エプサイト)
2014年 写真集『WAVE 〜All things change〜』(かぜたび舎)
コレクション
東京都写真美術館、カナダ・ナショナルギャラリー、サンタバーバラ市立美術館、北海道立釧路芸術館、長崎県美術館など


【第ニ回】倉石信乃(明治大学教授)

ロバート・フランク写真展「Moving Out」(横浜美術館 1995年)元担当学芸員でもある倉石信乃氏にロバート・フランクについて語っていただきます。

日  時 / 2015年4月11日(土) 19:00〜 (当日は18:00閉廊、18:30より受付開始)
参加費 / 2,000円(展示チケット代含む)
終了いたしました。たくさんのご参加ありがとうございました。

倉石 信乃(くらいし しの)
1963年生。明治大学教授。近現代美術史・写真史・美術館論。1988〜2007年、横浜美術館学芸員としてマン・レイ展、ロバート・フランク展、菅木志雄展、中平卓馬展、李禹煥展などを担当。1998年重森弘淹写真評論賞、2011年日本写真協会賞学芸賞を受賞。主な著書に『スナップショット?写真の輝き』(2010年)、『反写真論』(1999年)、『失楽園 風景表現の近代 1870-1945』(共著、2004年)など。『沖縄写真家シリーズ[琉球烈像]』(全9巻、2010-12年)を仲里効と監修。


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コレスポンデンス―元村和彦コレクションによるロバート・フランクの写真

倉石信乃

  近年、ギャラリー・バウハウスで連続して展示されている、元村和彦コレクションによるロバート・フランクの写真は、形成期から近年に至る代表作から比較的珍しい作例まで、さまざまな様相を示しています。われわれは単に写真家と出版人の関係を超えて長年にわたって形作られたこの奇蹟的な友情の歴史から、ロバート・フランクという写真家の類い稀な作家精神を具体的に知ることができるでしょう。

  ロバート・フランク作品の重要な特徴の一つは、作品の自伝性というべきものと考えていいと思います。今回の展示もフランクが自らの人生と写真とを重ね合わせて考えてきた、その軌跡のいくばくをたどることができます。作品の自伝性が、格別に作家自身に意識され、それが明確に表現されるようになったのは、まさに元村さんが1972年、フランクの写真集『私の手の詩』を自身の邑元舎から出版して以来のことです。展示作品からも明らかなことですが、『私の手の詩』には、余りにもモニュメンタルな達成と見なされるようになった『アメリカ人』(1958年初版)への集中的な関心を拡散させ、1940年代末から50年代初頭にかけての初期作品や、『アメリカ人』以後の仕事をも含めて、自身のキャリア全体を再編集したいという、フランクの強い意欲が見て取れます。邑元舎からの2冊目のフランクの写真集『花は...』(1987年)にも、こうした自伝的な語りはもちろん継承されています。

  『花は...』は三つの章から形成される写真集で、1950年代初頭のパリ、『アメリカ人』にまとまる1955年の旅の途上で記録された自動車工場のあるデトロイト、そして1970年からニューヨークとは別に住むようになったノヴァスコシアのマブーが、綴られています。デトロイトの自動車工場のシーンは『アメリカ人』にも含まれていますが、フランクは『私の手の詩』以降、繰り返しこの時の撮影を取り上げて増補・拡充しています。来し方と行く末をそれぞれ確かに望むための、現在のパースペクティヴをその都度手探りで設定し直していこうと腐心するフランクの写真は、いつも「編集」という作業の自発性が息づいています。

  よく知られているように、フランクはその伝説的な写真集『アメリカ人』を1958年にフランスで、翌年アメリカで出版してからほどなく、表現の主戦場を映画制作にシフトさせました。フランクが再び意識的に写真制作を手がけるのは、70年代に入ってからのことです。そのきっかけとなったのが元村さんによる出版の提案であり、すなわち『私の手の詩』を作り上げていくプロセスそのものにありました。この書物には『アメリカ人』においてすでに狙われていた、アメリカ写真のフォーマリズム的な美学に対する解体の意思が見られます。しかし、映画から写真へとフランクが再び還流してきたその時、取り澄ました「写真芸術」に対しては、もっと過激に、より徹底したやり方で解体を推し進めています。そして個々の自発的なイメージの生成に向かってフランクは、より主体的に介入していきました。自伝的であろうとすることはとりもなおさず、形骸化したアメリカ写真の公的な伝統に対する、オルタナティヴな再挑戦の意味がありました。

  作品制作に係わる介入の方法には例えば、映像を連続的にあるいは時には非連続的につなぎ合わせること、すなわち映画的シークエンスの活用が挙げられるでしょう。この方法は明らかに、フランクが映画制作から学んだものが反映されていると考えられています。パーフォレーションの目立つ「コマ」の連続を、そのままの形で活かしてプリントに反映させるなどの手法は、元村さんの編集・刊行した『私の手の詩』において顕著に定着し始めたものでした。シークエンシャルな運動の導出はしかし、必ずしも映画を2次元に転写して得られる、比喩的な時間表象にフランクが関心を持っていることだけを意味しているのではありません。それだけでなく、写真のプロセスで不可避に生じる触覚的なものへの強い関心をわれわれは読みとるべきなのです。さらに70年代以降のフランクは、複数の写真をつなぎ合わせることに強い関心を抱いていきます。そこには、1枚の「決定的な瞬間」を写した写真に対する批判も込められています。

  70年代以降のフランクの写真のもう一つの特徴もまた、「世界と私」の触覚的なコレスポンデンスに係わるものです。そのための大事な武器としてフランクには、簡明な「言葉」があります。すなわち、画面の中にさまざまな様態で、文字を書き込み、表示することです。文字あるいは言葉に対する鋭敏な感覚は、フランクにとって天性のものであり、かつ生涯を通じた志向を表しています。しかしながら、70年代初頭のフランクにとって、言葉を積極的に写真の中に導入しはじめたことは、特別な意味を持っていました。

  60年代末から70年代の前半にかけては、フランクの人生の転機に当たっています。長く連れ添い二人の子を設けた彫刻家のメアリー・フランクと別れ、新たな伴侶・ジューン・リーフと出会い、ノヴァスコシアのマブーにも住処を得たのもこの頃のことです。映画制作に注力する日々の中で、ローリング・ストーンズの1972年の全米ツアーを綴った傑作映画『コックサッカーズ・ブルース』を一緒に制作した、親友のダニー・シーモアが、1973年太平洋上で行方不明となりました。翌74年にはフランクの娘アンドレアが、ボーイフレンドと旅行中にグァテマラ上空で起こった飛行機事故のため、亡くなります。まだ二十歳の若さでした。

  肉親と親友の死を通じてフランクは、写真を私的な追悼のよすがと見なすこと、すなわち、古くから普通の人々が生活のおりふしでしてきたようなコミュニケーションの道具と捉えるようになりました。こうした喪失の経験とそれに伴う写真の使用法の変化が、フランクにとっては写真への言葉の導入の理由の一つと考えられています。プロフェッショナルな写真家として、「ヴァナキュラー写真」の使用に徹底して賭けつづける存在は稀有だというべきでしょう。フランクにとり、写真は死者へ手向けられる花束、捧げ物になりました。そして、当のイメージの内外には決まって簡明な言葉が添えられています。

  フランクは「花の写真家」といってもいいでしょう。しかしフランクがいつも注目しているのは、「花と人」であり、花と人をめぐるコミュニケーションのかたちなのです。花は誰かに手渡されるもの、捧げられ、供えられるものであり、フランクの写真は花をめぐるそうした行為を見つめた結果なのです。

  度重なる喪失を痛苦とともに抱え、かつどうにかやり過ごしつつ、自らの老いにも気づき始めるマブーでの日々は、元々内向的なフランクにいっそう、省察の深化をもたらしました。太平洋に面した寒村で、厳しい自然を前に、誰もが抱くけれども容易に形象化はし難い人生の問いの数々が、具体的な文字の形で写真に書き込まれ、刻まれていきます。周囲の寂寞とした自然風景の他、フランクが特に注視するのは、窓辺に置かれた小さなオブジェやわずかな花束、ちょっとした日用品や友だちから贈られたプレゼントなど、日常の片々たる事物です。それらの余りに断片的な存在はしかし、フランクにとってのアルターエゴとして必要不可欠な対話の相手であるかもしれませんし、遠く離れた友人へ贈る久しぶりの挨拶の結晶のごときものかもしれません。

  日常生活における手応え、「違和と親和」の一切は、取り替えのきかず、後戻りできない人生の一回性の徴として、フランクの写真には情動の流露を伴って定着しています。日々の出来事を消し去れない痕跡として長く保存すること。そのために必要な持続的な凝視、つまりフランク自身の言葉を借りれば、「じっとして、そのままつづける」ことが、彼の写真の特質を成しているに違いありません。そして、これからもまた。



この小文を執筆に際しては、以下に示す2冊の書物に、そしてとりわけその中に収録されている、フランク作品の自伝的性格を重視するフィリップ・ブルックマン論文に多くを負っています。Anne Wilkes Tucker and Philip Brookman(eds.), Robert Frank:New York to Nova Scotia(Houston: The Museum of Fine Arts, 1986). ワシントンナショナル・ギャラリー編・刊『ロバート・フランク:ムーヴィング・アウト』展図録【日本語版】、1995年。




Robert Frank写真
   ©Robert Frank
   Courtesy Of Kazuhiko Motomura



作家プロフィール


Robert Frank(ロバート・フランク)

1924  11月9日スイスのチューリッヒに生まれる。
1942-1944  ジュネーヴ、バーゼル、チューリッヒの商業写真家たちのもとで修行する。
1944  スイスの兵役に服する。<山岳兵>
1945  チューリッヒの映画会社のスチール写真家となる。
1946  パリで写真家としての仕事を試みる。
1947  ニュー・ヨークへ渡り、A・ブロドヴィッチに雇われて雑誌『ハーパース・バザー』のファッション写真
        家として働く。
1948  ペルー、ボリヴィアへ旅行。
        アメリカでファッション雑誌の仕事をつづける。
1949  パリで、雑誌『ナフ』にペルーの写真を載せてくれたR・デルピールに逢う。
1950-1951  フランス、スペイン、イギリスに住み仕事をする。
1952-1954  ニュー・ヨークに帰り、ファッション写真をやめ、フリーランスの写真家としてアメリカにおける
                主要な出版物の仕事をする。
1955-1956  グッゲンハイム財団奨励金を受ける。
                アメリカ人についての本の制作をもくろみ、アメリカ各地を旅行。
1957  ルーイス・シルヴァースタインのもとで、「ニュー・ヨーク・タイムズ」事業開発部の仕事をする。
        『カメラ』誌にゴッダード・シューの「R・フランクへの手紙」が載る。
1958  デルピール社版の『The Americans』がフランスとイタリアで出版される。
        地方都市で友人たちと"ホーム・ムーヴィー"を制作。
1959  ニュー・ヨークでジャック・ケルアックと「わたしのヒナ菊を摘め」を制作。
1960  『The Americans』がアメリカで出版される。
        <映画によって構成されたページを追加して、1969年に再版される>
1961  俳優を使った初めての映画「イエスの罪」を制作。
        モダン・アート・ミュージアムで写真と映画の展示を行う。写真はフランクとキャラハンの作品。
1962  雑誌『ドゥ』が写真家ロバート・フランクの特集を組む。
1963  「さあ、ここでおわりだ」がベルガモ・フィルム・フェスティヴァルで一等をとる。
1965-1968  コンラッド・ルークスとともに旅行し仕事をする。
                「チャパクァ」撮影。
                同じ頃、初めての長篇映画「俺と俺の兄弟」を制作。
1969  ロンドンの『クリエイティヴ・カメラ』誌に毎月コラムを書く。
        「ヴァーモントでの会話」がデレクシー基金の補助を受けて完成する。
        ただひとつの記録映画「救命艇地球号」を制作。
1970  アメリカ・フィルム協会から、「わたしについて…ミュージカル」の制作のための補助金を授与され
        る。
        元村和彦氏、幡谷紀夫氏がバウェリー184番地に訪ねてくる。
1971  日本で出版される写真集と、パリ・ルーヴルで1973年3月に行われる展覧会のための仕事をする。
        他の映画を制作するための基金を、ニュー・ヨーク州芸術評議会から受ける。
        日本からのスーパー8ミリの新しいカメラで撮影を開始する。
1972  邑元舎から『The Lines Of My Hand』が出版される。
1974  娘のアンドレアが飛行機事故で死亡。
1975  ジューン・リーフと結婚。
1977  映画「人生は踊り続ける」の制作を開始する。
1982  ジャック・ケルアックの小説『路上』出版25周年として、映画「ジャックへの讃歌」を制作。
1983  映画「家庭の改善」制作。
1985  ドイツ写真協会からエーリッヒ・ザロモン賞。
1987  邑元舎から『花は……FLOWER IS』が出版される。
1990  ワシントン・ナショナル・ギャラリーにネガ、コンタクト・プリント、オリジナル・プリントを寄贈する。
1991  映画「最後の晩餐」制作。
1994   「Moving Out」巡廻展 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
1995   「Moving Out」巡廻展
        2月 横浜美術館
        5月 チューリッヒ・クンストハウス
        9月 アムステルダム・ステデリック美術館
        11月 ニューヨーク・ホイットニー美術館
1996   「Moving Out」巡廻展
        3月 ロサンゼルス・ラナン財団
2009   「Looking In」巡廻展
        4月 ワシントン・ナショナル・ギャラリー・オブ・アート
        5月 サンフランシスコ近代美術館
        9月 ニューヨーク・メトロポリタン美術館
2011  6月 写真展「Outside My Window」gallery bauhaus
        9月 写真展「Flower Is」同ギャラリー
2013  4月 写真展「The Lines Of My Hand」gallery bauhaus
        5月 写真展「Quiet Days」同ギャラリー
2014  9月 写真展「in America」スタンフォード大学 カントール・アート・センター

*参考資料
ロバート・フランク写真集『The Lines Of My Hand』 (邑元舎)
ロバート・フランク写真展図録『Moving Out』 (横浜美術館)



Robert Frank写真
   ©Robert Frank
   Courtesy Of Kazuhiko Motomura


MEMORY -Robert Frank and Kazuhiko Motomura-
Robert Frank Photo Exhibition
February 20-April 18,2015

gallery bauhaus
2-19-14 Sotokanda, Chiyodaku, Tokyo, Japan
Access map
About 6 minutes walk from Ochanomizu station (JR line/Tokyo Metro Marunouchi line).