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Interview
Chotoku Tanaka


上野道弘 岡崎正人 小瀧達郎 小松義夫 杉浦厚 世利之 田所美惠子 田中長徳 那須則子 堀野浩司


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Q. 最初のパノラマカメラとの出会い、かかわりなどについて教えてください。はじめてのパノラマカメラはどこでどのように入手されましたか?

A. 戦前からスイスで発行されていた国際的なカメラ雑誌Cameraがあります。そこでヨゼフ・スデクが撮影したパノラマ写真が載っていてそれが最初の興味です。路面電車の終点の不思議な風景で、プラハに住むようになってからそこを探して行ったこともあります。私の最初のパノラマカメラは1975年に東ドイツで買いました。ソ連製のホリゾントでした。

Q. 長徳さんは1975年にパノラマカメラを使ってヨーロッパを撮影して、昨年写真集も出版されましたが、ヨーロッパをパノラマカメラで撮ろうと思った経緯などを教えてください。

A. ヨーロッパを旅行することが多かったので常にパノラマカメラを携帯していました。パノラマの絵はがきを作るような気持ちで撮っていたのが面白いと思います。それ以前の私の写真は鉛筆の芯をとがらせるような写真美学のほうに向かっていたので、それを完全に否定してくれたのがパノラマカメラです。

Q. ロシア製カメラ「ホリゾント」には低速は1/30までのシャッタースピードしかありませんが、ヨーロッパの夜景はどのように撮影したのでしょうか。

A. ザルツブルグカレッジで教えているときに学生さん達とフォルクスワーゲンのマイクロバスに乗ってベニスに行きました。ロバートフランクの大写真展をやっていました。ホリゾントカメラを三脚に乗せて夜景を撮るときに旧型のカメラは30分の1までしかないので、30分の1でシャッターを切るときに自分の指をガバナのようにしてゆっくりドラムを回転させました。露光ムラもなく結構うまくいったのは幸運でした。

Q. ヨゼフ・スデクは多くのパノラマ写真を残していますが、スデクのパノラマ写真をどう思われますか?同じくチェコ出身の写真家ヨゼフ・クーデルカもパノラマ写真を撮っていますが、あわせてお聞かせください。

A. 戦前にスデクがプラハの写真屋さんでアメリカのカメラ雑誌を見てそこにナンバー4パノラマコダックを発見して本人の弁によれば、ソーセージのようなカメラがあるぞと興奮したそうです。ソーセージのように長いと言う表現はチェコ人独特ですね。スデクがすごいのは写真美学の最高のレベルの写真家でありながら、それを一切捨ててオートマチックに周囲の環境を記録するパノラマ写真の魅力に気がついたことです。
ヨゼフ・クーデルカの場合はLinfof Technoramaと言う首振り方式ではないパノラマカメラ、つまり超広角写真の上下を切ってプロポーションを合わせただけのパノラマで私はあまり好きではありません。

Q. ヨゼフ・スデクが使ったコダックのパノラマカメラはフィルムカメラですか?また屋外でのフィルム交換は、スデクの妹さんが作った人がすっぽり入れる黒幕のなかで行ったというのは本当ですか?

A. 1898年に発売されたナンバー4パノラマクラックは、もともと10センチ× 30センチの画面を10枚撮影できるロールフィルムカメラでした。コダックの会社はNo.104ロールフィルムを1945年に生産中止にしてしまったので、スデクがプラハの博物館から所蔵のカメラを借りてきて撮影しようと思った時に既にロールフィルムはなかったのです。それで18センチ× 24センチの彼が普通に使っている大判カメラのフィルムを半分に切ってテープでアパチュアゲートに止めて撮影をしました。でもこの場合の問題点は、1枚撮影すると暗室に戻らなければならないので面倒でした。スデクは妹さんと暮らしていたのですが、彼女が体がすっぽり入る大きなダークバッグを作ってくれたのです。ご承知のようにスデクは第1次大戦で右手を失っていますから両手を突っ込むダークバックでは使いません。それで写真家自身が大きなダークバックの中に入ってパノラマカメラのフィルム交換をしたのです。
それをカントリーで見た敬虔なカソリックの農家の女将さんが悪魔が出たと言って逃げ出したそうですが、大写真家の膨大なパノラマ写真のシリーズが毎回撮影のために巨大なダークバックの中に入ってパフォーマンスを演じていたと言うことになります。この逸話は先日亡くなった私の古い友人プラハの写真家パベル・バッハ本人から直接聞いた話です。

Q. 長徳さんのお友達のチェコ人の写真家パベル・バッハさんが撮ったヨゼフ・スデクのポートレートを、今回2点展示させていただきましたが、バッハさんはどのような写真家ですか?

A. パベルがコロナでなくなったのは本当に残念でびっくりしました。80歳でした。プラハ生まれでプラハの映画芸術専門大学FAMUを卒業しました。そこのプロフェッサーにはノーベル文学賞のミラン・クンデラもいます。チェコの有名な写真家ですがチェコの美術界で凄いと思うのは他の芸術家と常に対等な立場でお付き合いのあったことです。パベルのブラックジョークに「俺はFAMU卒業したけどヴァーツラフ・ハヴェルの場合は中退だった」というのがありました。

Q. 今回のパノラマ写真展のために東京を撮り下ろしていただきましたが、久しぶりのパノラマカメラの感触はいかがでしたか?

A. ギャラリーバウハウスに行く時いつも通っている聖橋に惹かれたのです。ドイツ表現派様式のブリッジですから私はこれを自分の見立てと言うことで、ギャラリーバウハウスブリュッケと名付けていました。調べたら実際にドイツ表現派と親交のあった建築家の作品なんですね。ホリゾントパノラマカメラで撮影したのですが思い通りの天候になかなかならなくて苦労しました。それとカメラのほうも巻き上げの具合が悪いので同じカメラを3台使って何とか撮れました。

Q. 長徳さんの言う、「パノラマ写真とは写真家の立ち位置こそが大切なのだ」とはどういうことでしょうか? またパノラマ写真の魅力について教えてください。

A. パノラマカメラは世界中の軍隊とか警察などで使われていました。それは現場の状況を全部包括して撮影できるからです。でもパノラマカメラの魅力に最初に気がついたスデクが目指していたのはもっと違うとこでした。すなわち我々を取り巻いているこの現実と言うのはなんぞや?と言う哲学的環境への興味です。形而上学に目覚めているカメラがパノラマカメラであると言っても良いと思います。

Q. 今回のパノラマ展で使用したカメラについて教えてください。

A. 1970年代に作られたホリゾントパノラマカメラを3台使いました。このカメラには立派な光学式ファインダーが付いていますがそれは外して行きました。理由は単純なことで、このカメラはフィルム巻き上げのトラブルが多いので、巻き戻しのノブが撮影中に回転しているかどうか確認するためにファインダーはつけませんでした。

Q. 暗室作業でのこだわりはありますか?

A. 6センチ×9センチのフィルムが伸ばせるフォコマート2cを使いました。モノクロームのファインフォトグラフィーとは正反対のいつもの汚いプリントです。まぁそれが私の個性と言うので評価してくれるコレクターさんもいますが。

Q. 最後に、本作品の見どころなどを教えてください。

A. いつもヨーロッパを撮影している小瀧さんはコロナの関係で今回のパノラマ展示は国内でしたが、私もそれと似たような方向性です。実は東京のシリーズはパノラマカメラでもたくさん撮っているのですが、今回はグループ展と言う方向付けがあるのでわざと聖橋をギャラリーバウハウスブリュッケと見立てて撮影したのが面白かったです。ある雑誌で10年間、橋からの眺めと言うタイトルで120回連載をしたことがあります。このシリーズは橋の上からの風景で第一回目はブルックリンブリッジでした。今回は方向が完全に変わって橋の眺めと言うわけですがこれほどアングルが取りにくいブリッジと言うのは世界でこれだけではないかと思いました。カメラを決められるアングルというのがほとんどないんですね。それだけに聖橋=ギャラリーバウハウスブリュッケは撮影しがいがありました。


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田中長徳 Chotoku Tanaka

1947年 東京都生まれ。 日本大学芸術学部写真学科卒。 日本デザインセンター勤務を経てフリーランス写真家となる。 1973年から7年間ウィーンに滞在。日本人写真家の巡廻展「NEUE FOTOGRAFIE AUS JAPAN」に参加。 文化庁派遣芸術家として、MOMA(ニューヨーク近代美術舘)にて アメリカの現代写真を研究。

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New York, 1983
使用カメラ:WIDELUX


文責・編集 gallery bauhaus
鈴木拓也             



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