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Interview
Koji Horino


上野道弘 岡崎正人 小瀧達郎 小松義夫 杉浦厚 世利之 田所美惠子 田中長徳 那須則子 堀野浩司


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Q. パノラマカメラとの出会いはいつでしたか?また使用したカメラを教えてください。

A. パノラマカメラを初めて手にしたのは20歳の春です。当時アルバイトをしていた銀座のカメラ店で、ワイドラックスF6というクロームメッキされたモデルを手に入れたのが最初でした。 そのカメラは前面部のドラム部分から光が入り込んでしまうトラブルがあり、直ぐにブラックのモデルを手に入れました(ワイドラックスF6B)。普通のカメラと同じようにホールドすると、両脇に指が写り込んでしまうのでハンドグリップを付けて撮影するのも忘れてはいけません。今回の展示写真を撮影したのはそのモデルです。

Q. 今回の作品は大学生の頃に撮影されたとのことですが、当時パノラマカメラを持ってヨーロッパを撮影した経緯を教えてください。

A. 大学2年の末期に、欧州各所を1ヶ月近く巡回する大学研修の募集がありました。私も学生課に応募の申請を出したところ、結果は落選。そのため私は、長い春休みを利用してパノラマカメラだけで東北地方沿岸を撮影する計画を立てました。東京を出発し、太平洋沿岸を延々と移動し、北海道を目指す。当時、自動車免許を未だ取得していなかったので鉄道のみの旅です。メモ帳に旅の工程がほぼ埋まった頃でしょうか、学生課から急に連絡が入りました。「欧州研修のメンバーが1名辞退したので、急遽人員を探している。急な話だが、どうだろうか」そのような内容でした。自分のメモ帳に破れたページができたのは、それから10分も掛かりませんでした。東北地方を撮影する予定だったトライエックス50本と共に、欧州へ行くことになりました。

Q. ご旅行中に日本の東日本大震災のニュースを知ったのですか?

A. イタリアのフィレンツェに滞在中、朝のニュースで知りました。今回の展示にて発表している夜の観覧車のプリントは、震災前夜に撮影したものです。

Q. その時はどんな気持ちでしたか?また今振り返っての思いなどありましたら教えてください。

A. 2011年3月11日、イタリアはフィレンツェに滞在していた夜でした。前日の夜、研修仲間と痛飲した二日酔いの頭をさすりながらテレビをつけると、津波の映像と湾内が火焔で埋め尽くされた気仙沼の光景が映されていました。東日本を中心とする日本列島を、激震が襲ったのです。本来、この旅に参加していなければ、私もあの港町にいたはずでした。それから日本に帰国するまでの半月間、私はパノラマカメラのファインダーを覗くたびに、自分が何処へ向かっているのかという漠然とした不安を感じながらシャッターを切っていました。
あの日から10年経った今でも、異国に来てそのまま住み着いてしまったのではないかと思うほど日本は違う国に変わってしまったと感じています。

Q. 今回ご自身の作品を見返して思ったことはありますか?

A. 撮影をしたプリント順に並べてみると、最初の頃は都市のディティールだけを意識したカットが多いことに気が付きました。旅の最終地点・パリに近づくにつれて、フレームの中に人物が増えていくんですね。そして改めてみてみると、コロナ禍前の人々の営みが新鮮だなと思いました。みんなマスクをしていない。あの日に戻れる日が早く来るように祈っています。

Q. 暗室作業でのこだわりはありますか?

A. 引き伸ばし機はライツ・フォコマート2c を使用しています。パノラマカメラの熱が急騰した頃に、専用のネガマスクをオーダーして今も愛用しています。
印画紙はオリエンタルのバライタペーパーを使用しています。大学時代にお世話になった三好耕三氏からの影響です。

Q. 最後に、本作品の見どころを教えてください。

A. 旅に出たくても出られない。今では見られなくなってしまった光景ですが、少しでもあの頃の世界の光景の一部をご覧いただければ幸いです。


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堀野浩司 Koji Horino

1990年 東京生まれ
2012年 日本大学藝術学部写真学科卒


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最愛の家族と過ごす堀野浩司


文責・編集 gallery bauhaus
鈴木拓也             



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